御伽噺の世界が、一つの定まった道しか進まないと知ってなお、存在するものなのならば。
その、擬似的「運命」に翻弄される主人公達の滑稽な行動は何なのだろう。
どうせ、幸せになる者も、不幸になるものも決まってるというのに。

例えるなら。
ここは、そう、箱庭。
届かない自由という名の空に手を伸ばす自分は。
きっと御伽噺に出てくる人物と変わらないのだ。


  箱庭からみた空


「いつも何読んでるの」

言われてオルガは顔をあげた。
雨が降っている。
一時的な帰省は機体の点検と修理のためだ。久方ぶりの地球は丁度梅雨に当たっていたらしく、降りて きてからの三日間、雲が晴れることはなかった。
身体計測やら生化学検査だのを終え、纏わり付く湿気に悩まされながら新機能の説明やらそれらに準じ たトレーニングをこなしたオルガ達が自由な時間を手に入れたのは昨日のことだった。
突然シャニに声をかけられてオルガは眉を寄せた。
本に集中していた訳じゃない。内容すら覚えてしまったその本を開いている理由は、自分ですら分から なかった。質問が『何で』ではなくて良かったと、どうでもいいことを思った。
ただ、何をするのであっても邪魔されるのはいい気分ではない。牽制の意味を込めて隣りに立つ人物を 見上げると、オルガは一言簡潔に応えて視線を本に移した。

「お前には関係ない」
「児童書?」

今度は覗き込まれて本を閉じる。人に見られるのは好きではないのだ。

「楽しい?」
「ああ」

大して思ってもいないことを口にして、鬱陶しげに髪を掻き揚げる。シャニは珍しく、そんなオルガの 態度に怒鳴る様子もみせなかった。癇癪を起すでもなく前に回りこむとオルガの座るソファーの前に直 にぺたんと座り込んだ。

「どんな、話?」
「興味あるのか?」
「別に」

冷めた声は逆に普段の彼らしいととっていい。だからこそオルガは反応のないシャニに対しても何も言 わず、再び本を開いた。
シャニは特に何を気にした風もなく、目の前のオルガを見上げていた。好奇心に輝くこともしない瞳は 抑揚なく、ただ水を湛えた泉のように静かに透明な光を、オッドアイに湛えていた。

「ただ、なんとなくそんな気分なんだよ」

暫くしてからポツリと呟く。
それ以外の音は聞こえてこなかった。そういえば、とオルガは気が付く。いつもは気に障るくらい耳に 付く音楽が、今日は聞こえてこなかった。

「ただの、御伽噺だ」

目の前の本に視線を移したままそっけなく答える。ただ、文字を辿っていたはずの視線は同じ行を何度 も辿り、文字は形として認識されないまま視界をただ満たしていた。

そう。
御伽噺だ。
残酷な、御伽噺。
幸せになって、おしまい。

単純明確にされた事実関係は現実の複雑さを微塵も感じさせないまま時に残酷な表現を当たり前のよう に乱用している。
あるのは二つ。

『善』と『悪』。

『敵』と『味方』ですらない。あえて言うならば、敵が、『悪』。敵は悪人であり、敵国は悪い国。そ こにはどんな事情も関係はなく。
だから『悪』と思い込んだ時点で、対になる自分は『善』なのだ。
残酷な、御伽噺だ。

悪は滅びる。

無残に、苦痛と悲鳴の中で、救われることもなく。それを哂ってみている奴が善だなんて、おかしいに も程がある。
今の時世自分達と重なる、それ。ナチュラルは正義でコーディネーターは悪で。誰が決めたとも思えな いそれを動機に、人々は無駄な殺戮を繰り返す。ただ、理由がほしいのだ。
生き残るために?すでにそうではない。彼らはただ、自分達こそが至高の存在だと証明し、そして自ら を脅かすものを排除したいだけにすぎない。

「・・・俺達には関係ない事情だな」
「何が?」

オルガは皮肉気な笑みを浮かべた。

「残酷な、御伽噺の続きさ」

命を天秤にかける。きっと誰の命をいくつおいても、傾くことはないだろう、それ。いつまでも下に下 がったままの秤の錘は、自分自身の命だった。
生き残ることこそが重視された今には、道徳など何の意味も無くて。人の命を奪う、そのことに狂いか けた頭が歪んだ快楽を生み出す。これがいつまで続くのかも、その後自分達がどうなるのかも知らない 。それほど、“今”だけが全てだった。

「おとぎ噺?」
「幸せになったその後は、どうなると思う?」

自分達のいる、逃げられない箱庭。
自由という名の空さえ見えなかったら、囚われた箱庭の柵さえも、気にはならなかったのに。
そこにあるのは快楽、麻痺していく脳、少しずつ壊れていく心。
シャニは少し考えて、そして言った。

「幸せって何?」

聞いたオルガの口元が歪む。そしてその唇は笑みを象った。
壊れた、笑み。
もう自分達はここまできたのだ。麻痺した脳神経は、こうなってもなお、警告すら発しなかった。
破壊の衝動。それにともなう快楽。
自らの死をかけたそれに、愚かなまでの恐れは掏り返られるように、そんな感情に変わった。
人を殺して、自分達だけが生き残る。

そこに。

「今以上の幸せが、あるか?」

笑みを治めて、問う。
しかし口唇は弧を描くように歪んでいた。
さぁ、くれるなら別の答えを。俺達が完全に狂ってしまう前に。
こんな歪んだ幸せがあるのかと、否定してくれればいいのだ。
彼は少し考えて、ゆっくりと笑みを作った。

「そうだね。今が一番楽しいや」

純粋な、笑み。オルガよりずっとコワレタ、そんな。
答えは出ている。
もう、手遅れなのだ。
何かが壊れる音が雨に混じった。それは雨音にのって心に浸透していく。まるで、水が地面に吸い込ま れるように。

壊れるのなら、この世界もろとも。

そう願ってしまうのは、望んだはずの自由の先に、何も見出せなかったからだろうか。
自分達の命すらかけない上の連中は、俺達の命すら天秤にかけた気で、多くの命の灯火が消えるのを眺 めて、未だ実現されない理想に焦がれている。
愚かとしかいいようがなかった。そんな彼らにも。そんな彼らに弄ばれるしかない、自分達も。

いっそのこと。
壊してやろうか。

操っていたと錯覚させる原因の、この身体に巻きつく糸を断ち切って。
暗い笑みが口元を彩った。俺達の願いなど叶うはずがないと思い込み哂う彼らに、俺達が感じた絶望を 、味合わせてやろうか。
その糸を断ち切るために流れる自分の血など、本当に取るに足らないものなのだから。彼らの敵を排除 して、有頂天になっている彼らから、全てのものを奪ってやろうか。
悲しむ暇もないほど。その命さえも一瞬に。
残る世界がどうなろうと、自分達には関係がなかった。

「・・・オルガ?」
「なぁ、シャニ。俺達自身が御伽噺の主人公だったらどうする?」
「・・・何、それ」
シャニは少し考えて、そして言った。
「いつ、始まったの」

その御伽噺は。
いつ?そんなの、俺達が生まれた時から?

「さぁな」
「じゃぁ、いつ終わるのさ」
「御伽噺って、主人公が幸せになったら終幕なんだとさ」
「じゃぁ、もう終わってるってこと?」

今が一番幸せだと笑った顔が、抑揚もなく言葉を紡いだ。オルガは笑う。

「そうかもな。じゃぁ、特別にその続きを作ってみるか?」

――――――全てを、壊して。
自分達だけではない、全ての御伽噺を終わらせて。

『ヴィ――――――・・・』

心ですら鳴らない警報の代わりに、呼び出しを告げるアラームが鳴った。一時的な帰省。
自分達の命を繋ぐ冷たい機体の整備が終わったのだろう。
雨音に紛れるそれを聞きながら、これから戻るであろう空を想った。
あるいは箱庭から見えた自由という名の空が、今の空のように雨雲に隠れていたら。輝かしいと思わな かったら。

――――――手を延ばそうと足掻くことすらしなかったのだろうか。

御伽噺は続いている。例え終わりが見えても、自分達はそれに囚われたままだった。
御伽噺をしよう。幸せな主人公の結末は


『そして誰もいなくなった』


ラストは決まった。エピローグには鎮魂歌すら流れない永遠の闇が来るのだろう。
望んだのは、解放か。それとも壊す快楽に飲まれた結果の果てか。
価値の無い世界は壊れて。

唯一の幸せは、そこに実現する。







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