何から準備しよう。
大好きなお菓子を用意して。
それから、目印にオレンジ色の光を灯して。
悪霊を追い払う夜に、君だけを待って過ごしていよう。
ハッピーハロウィン
「とりっく おあ とりーと!」
およそ英語とは思えない発音で投げかけられた言葉を、跡部は呆れ顔で受け止めた。
視線を少し下げた先で、冷たい風の中、まるで零れ落ちる陽の光の暖かさだけを取り込んだようなひよ
こ色の髪が揺れている。
暖かそうだな、そう思って延ばした手は、予想より冷たくて柔らかい髪に触れた。
けれど冷たい感触を伝えた髪は、次の瞬間には手の温度を吸い込んで柔らかさだけを手の平に伝えてく
る。ふわふわと風に吹かれたのと同じように揺れるそれをかき混ぜると、ジローは擽ったそうに笑った
。
「ジロー、お前その言葉分かって使ってるのか?」
ジローは最後にぽんと叩くように載せられた手に眼を細め、離れていく手を名残惜しそうに眺めながら
、印象的な瞳をくるりと動かした。
「えっと、お菓子をちょうだいじゃないの?でもお菓子なんて単語入ってないよね、あれ?」
「Trick or treat!」
ジローとは違い流暢な発音が先程の言葉を復唱する。
「“お菓子をくれないといたずらするぞ”決まり文句みたいなものだ。それでお前は俺にどんなお菓子
をくれるんだ?」
お菓子は持ってない、というように手を広げた後、にやりと笑って俺はちゃんと言ったぞと主張してみ
るときょとんと瞳を瞬いて、ジローはふわりと笑った。
「チョコレートにアメにプリッツにムースポッキー。跡部、どれがいい?」
「・・・チョコレート」
ジローのカバンにはいつであろうとお菓子が入っている。
それを知っていてあえて「Trick」を口にしたのは、珍しく甘いものを口にしたくなったからだ。鞄を
かき回すジローに見られないように口元を緩ませながら、跡部は疲れているからだとありきたりな理由
を頭の中で巡らせた。
「跡部、手出して!」
言われて手を差し出すと、ジローの手から小さなものがぽろぽろと手の平に落とされる。
かろうじて落とさずにそれらを受け取ると、ジローは満足げに笑った。
「いろんな味があるんだよ〜」
思わぬ数の多さに驚きながら跡部は手の上のそれらを見た。普段口にすることはめったにない、可愛げ
な包装に包まれたチロルチョコ。
「・・・こんなに食べられないぞ」
少し眉根を寄せて呟くと、ジローは知ってるよと笑って跡部と一緒に手の中のチョコを覗き込んだ。
「この中から選んで。俺はこれにしようっと!」
取ったそれを口の中に放り込む。
四角いそれは口の中ですぐに形を失って、甘さだけを残して溶けていった。
同じようにチョコを口に運んだ跡部を認めて、ジローは嬉しそうに笑った。
そして、延ばした手を横にいる跡部のそれに絡める。
「・・・おい」
「ん?」
「この腕はなんだ?」
絡められた腕を示すように持ち上げる。ジローは笑って抱きしめるように腕に力を入れた。
「大丈夫!誰も見てないよ〜」
部活が珍しく早く終わったせいか、通学路には確かに学生の姿は見えなかった。
部活のない学生ならとっくに帰っている時間であることと、部活のある他の学生は帰宅が更に遅いせい
だ。跡部は部長の仕事を終えてからの帰宅なので、いるはずのテニス部員ですら見当たらなかった。
そして更に付け加えるならば
「それに、こっちって普通人は来ないでしょ」
そう。
二人が現在向かっているのは、学校の裏門だ。裏門から少し先に行ったところに跡部家の車が付けられ
ているのをジローは知っていた。
と言っても普段の跡部は車など使わない。ジローが首を傾げているとそれを察したのか、跡部が口を開
いた。
「今日はお前は俺の家に泊まりだ。だから明日の分の教科書を取りにお前の家に寄っていこうと思って
たんだよ」
どうやら、お泊りは決定事項らしい。ジローもそれに異論はなかった。
だけど。
「でも跡部、おれ教科書全部学校に置いてきちゃったよ」
だから家に寄る必要はないとジローは言外に言い放つ。
本当はちょっぴり嘘だ。
明日提出の数学の教科書とノートは鞄に入っているからいいとして、国語の教科書は間違えて家に持っ
て帰ったきりだったりする。
でもあえて、期待を込めてジローは跡部にそう、申告した。
跡部はジローを見ない。徐(おもむろ)に携帯を取り出すとどこかに電話をかけ、そうしてようやくジ
ローを振り返った。
「じゃぁ、歩いて帰るぞ。パジャマは俺のを使え」
目的地はもうすぐだったがあるはずの場所に車はなかった。それが、電話の答え。
ジローの顔がぱっと輝く。
「腕は?」
「このままでいい。行くぞ」
そのまま歩き出すとジローは上機嫌で鞄の中から出したぺろぺろキャンディーを舐めだした。跡部が見
ているのに気づくと、「いる?」ともう一度鞄を探ろうとする。
今度はすぐに断って、跡部は呆れたように溜息をついた。
はさながら魔法でもかかっているのではないかと思うほど、跡部にとってジローの鞄は不思議が詰まっ
ている。この間は確かスナック菓子が3つも出てきた。
その他、到底学校に行くあたっていらないだろうものが出てくること多数。
―――――教科書やノートはどこに入れてるんだ?
思っても口にしなかった問いだが、もしその答えを聞いたなら、先ほどと同じ答えが返ってきていただ
ろう。
「どうかした?」
「いや・・・ああ、そうだ。」
言葉を切りかけて、跡部は思い出したように言葉を繋げた。
「・・・家に行けばカボチャプリンも他のお菓子も用意してあるぞ」
「え?」
驚いたようにジローが跡部を見上げると、跡部はどこか面白くなさそうに眉根を寄せていた。ジローは
知っている。それは照れ隠しだ。
「俺のためにお菓子、用意してくれてたの?」
「ああ」
「ハロウィンだから?」
「ああ」
跡部の表情とは裏腹に、回答を得るごとにジローの顔は輝いていく。跡部はそっぽを向いたまま、ぽつ
りと呟いた。
「お前はそういうの、好きだろう」
「うん!」
ジローは思い切り頷く。それから、あ!と声を上げた。
「滝と宍戸が言ってたのってこのことだったんだ」
ジローが呟くと訝しげに跡部が覗き込んだ。
「滝と宍戸が何だって?」
「ん?何か、あの様子?じゃ跡部がきっとお菓子くれるよって。とりっく おあ とりーとのことも二
人から聞いたんだよ。・・・どうかしたの?」
よほど嬉しかったのか絡めた腕に思い切り抱きつきながらジローが上目遣いで跡部を見た。
跡部は不機嫌そうな顔をしていて、ついでジローと目が合うとバツが悪そうに視線を逸らした。
「ハロウィンって本当はどんなお祭りなんだろう?」
跡部家到着後、跡部本人の部屋で、用意されていたカボチャプリンを頬張りながらジローが首を傾げた
。
「日本でいう、お盆みたいなものだな」
跡部はお菓子に手を延ばすこともなく、コーヒーに口を付ける。
ふくよかな香りに目元が緩んだ。
部屋の中ではジャック・オー・ランタンがオレンジ色の光を投げかけている。
二人は蝋燭の淡い光に照らされながらとりとめのない会話を繰り返していた。
「じゃぁ、俺は死んだらこの日に戻ってこようかな。日本のお盆よりも楽しそうだし!」
お菓子とか仮装とか、楽しそうだもん!オレンジ色が好きだといった彼はそう言って、オレンジ色に染
まった顔で笑った。
「いや、そうでもないぞ」
跡部は意地悪げな瞳でジローを見る。
「たしかにハロウィンには死者が帰ってくる日だが、帰ってくるのは悪霊で、それを追い払うのが本来
の目的だからな」
「そうなの?」
「ああ。これも、悪霊を払うために灯すものだしな」
跡部はテーブルを彩るジャック・オー・ランタンを軽く指でつついた。
ジャック・オー・ランタン。またの名をカボチャ提灯。
カボチャの中身をくりぬき、顔に見立てて細工した提灯だ。中には仄かな明かりを零す蝋燭が入ってい
る。
ジローはカボチャ提灯を暫く見つめ、ついでぽつりと呟いた。
「・・・一緒に良い霊が戻ってきたらどうするんだろう」
「は?」
「悪霊と一緒に良い霊も戻ってくるかもしれないじゃない」
ジローの目は真剣だ。跡部は頭を抱えた。
「・・・なんでそうなる」
「跡部に会いたいから」
「・・・」
「好きな人に会いたいからだよ。俺だったらそうする。悪霊と一緒に旅することになっても、跡部に会
えるなら頑張れるもん。ハロウィンなら帰ってこれるんでしょ」
でも、と言ってジローは提灯の中で揺れる光を見つめた。
「この光は霊を追い払うためにあるんだね。導いてくれるためじゃなくて追い払うために火を灯すんだ
。・・・俺だったら、ハロウィンも跡部に会いたいのに」
跡部は溜息を付いた。
目の前のカボチャ提灯の光がふっと消える。蝋燭を吹き消した跡部を、ジローは眼を見開いて見つめた
。
二人を照らすのは、少し離れた場所にある蝋燭だけだ。
「帰ってくればいいだろう。泣きべそかきながら帰ってきたお前を追い出す気なんて元からねぇし、目
印なんざ・・・」
跡部の手が延ばされる。辛うじて表情が読み取れるほどの明るさの中で二人の顔が一気に近づいた。つ
いで、頬に触れる大きな手。
「目印なんざ、俺がいるだけで十分だろ」
一応、怖くないように火も付けといてやる。そう続けた跡部をジローは暫くの間驚いたように見つめて
いた。そして、ふにゃりと表情が緩む。
泣きそうな顔でジローは笑った。
その頭を跡部が乱暴に撫でる。
「じゃぁ、跡部だけはハロウィンでも俺の事待っててね。灯はカボチャ提灯でいいから」
跡部の手作りならカボチャ提灯も怖くないよ、そう言ってジローは笑う。結局、ハロウィンにジローが
帰ってくるのは決定のようだった。
「勝手にしろ」
そういって笑った後、跡部はにやりと笑みを浮かべた。
「お前が驚くぐらい大きなのを作って待っててやる」
追い払うためではなく、導くための目印になるように。
そのまま跡部はジローを引き寄せ唇を重ねた。柔らかい唇は、ほのかに甘いカボチャプリンの味がした
。
温まった部屋の中、二人は暫く抱き合う。
ほのかな蝋燭の光に照らされて、二人の重なった影だけがゆらゆらと絨毯の上を彩った。
ほんのりと頬を染めて、ジローが跡部の胸へと頬をうずめる。
そのまま横へと視線を向けると、窓の薄い硝子に反射した自分達が、そしてさらにその先に夜空が見え
た。
「約束してね」
ジローの言葉に跡部が抱きしめる腕を強めた。
その暖かさを離したくないと思う。
いつだったか、ジローに絶対に自分は彼より先に死なないと約束した。だから、必然的にジローは跡部
よりも先に死ぬことになっている。
約束を破るつもりはない。けれども、跡部はジローがいない世界で長生きする気もなかった。それを彼
に言うつもりはないけれど。
「ああ。約束だ」
それでも彼の約束は嬉しかった。
自分と会うためだけの約束。
ジローは続ける。お盆とハロウィン、二度跡部に会いに来る、と。
「お盆はね、皆のところに挨拶してくる。もちろん挨拶したらすぐに跡部のとこに行くからね」
ジローは思う。
きっと、待っててくれるだろう。自分の知る人は優しいひとばかりだ。
親も、友達も。
待っててくれてるところには必ず行く。お盆はそれでいいのだ。
そして。
誰よりも自分が会いたい人の下へ、ハロウィンには会いに行こう。
跡部に会うためだけに。
「俺は年に二度戻ってくるよ。それでね、ハロウィンは他のお化けが怖いから跡部のそばにずっといる
んだ。」
織姫よりも一緒にいられるよと笑って、ジローは蝋燭よりも明るい星の瞬く空を眺めた。

最後がちょっと不完全燃焼気味なところもありますが・・・
私の中での跡ジロはこんな感じなのです。
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