「南の好みに合わせてみたんだ!」
南健太郎のバレンタインディは、千石清純のこの言葉と、テニスボールを模した手作りのチョコレー
トで始まった。
「好み?」
何だ?と思いつつ、渡されたものを覗き込む。
特に変哲の見えないそれは、やはり普通のチョコレートに見えた。
甘さが控えめとかだろうか。
南は、甘いものがそこまで嫌いという訳ではない。
ただ、甘いものを大量に食べるということが出来ないだけで。それでも、今日という日に、千石がチ
ョコレートを作ってきてくれたのは正直に言って嬉しかったりする。
何せ、今日は二人が付き合い始めてから初めての、バレンタインディだった。
チョコレートを甘くする一つの方法
「うわ!生臭っ!!」
南と千石の、恋人同士になって初めてのバレンタインディ→きっといつもよりずっとハッピー・・・
であろう一日は、千石からのチョコレートを南が口にした瞬間、見事に崩れた。
生臭いって何だろう?
南は、自身で口にしながらも呆然と目の前のチョコレートを見つめる。何の変哲もないように見える
そのチョコレートは、南が齧った分だけ、歪な形に欠けていた。
そこから見えるのも、何の変哲もないチョコレートだ、多分。
千石が、ちょこんと首を傾げる。
南はもう一度、おそるおそる噛み砕いたまま口に残っている(というか含んだだけでそれ以上噛むこ
とも出来なかった)チョコレートに舌を伸ばす。ゆっくりと噛み締めた・・・ところで急激に吐き気
を催したので、その後は息を止めたまま一気に飲み込んだ。
「・・・・・・ッ!!」
な、何をいれたんだ!!
言葉もなく目で訴える南に、千石はあっさりと答えた。
「何って、南の好物」
先ほど言ったではないか、南の好みに合わせたと。
「・・・・・・」
言ったが、何をどうすれば、自分の好みが生臭いチョコレートなんていう売り出し文句だけで引かれ
るような物体になるのだろう。
視線だけで会話を交わすところなどは立派に恋人同士の態度だったが、これは彼らが付き合う前から
行われていたことなので今更だ。それよりも、気になるのはこのチョコレートに入れられたという自
分の好物なのだが・・・。
「え、だって南、鮭ハラミ好きって言ってたじゃん」
「・・・・・・・・・・・・鮭ハラミ・・・悪いが、チョコレートには合わなかったようだな」
南は何とかそれだけ口にした。怒鳴らなかったのは、南の無駄に強い忍耐のなせる業。
千石と付き合うようになってからさらに磨きがかったそれがなければ、彼らは今頃別れていたに違い
ない。
南は千石を見る。幸か不幸かその目には全く悪気がなかった。
つまり、恐ろしいことに良かれと思ってしたこと、らしい・・・。
二人の間にしばし沈黙が落ちる。
現在、二人がいるのは学校帰りによく寄る公園のベンチだ。
人がいないとも言えないが、近くにもう一つ大きい公園があるので人は少ないほうだろう。その中で
、しばし続いた沈黙に千石が困ったように視線を彷徨わせた。
南の固まったように動かない手の中のチョコレートを凝視して、千石がようやく口を開いた。
「やっぱり、それ以上は・・・」
「悪いけど、無理」
恋人からの初めてのバレンタインチョコ。頑張りたいのは山々だが、これは拷問に近い。
というか、本当に人体に害はないのか疑うべきところだろう。
千石の手作り、という段階でいくらかの覚悟を決めていた南だが、鮭(生かどうかでも微妙に危険度
は変わってくるはずだ)入りのチョコレートで腹痛のすえ部活に出られないというのは、やっぱりち
ょっと遠慮したいところだ。
千石はしょんぼりと項垂れた。
「ごめん、俺料理って余りしないから・・・今度はもっと新鮮な材料を使うよ!」
そういう問題ではない。
それから千石はことりと首を傾げてみせた。
「味見も、した方が良かったねぇ」
・・・味見してなかったのか!!??(いや、アレを味見しながら渡すのもどうかとは思うのだが)
「・・・やっぱりあの組み合わせは駄目かぁ」
千石は至極残念そうに呟いた。仕方がないとでも言いたげに、千石はもう一つの袋からガサゴソと何
かを取り出した。
「じゃぁ、こっち。口直しにどーぞ」
見覚えのある紙袋。特に包装しているわけでもないそこから取り出したのは、いつも学校帰りに食べ
ているコロッケだった。
さすがというか冷め切ったそれを南は無言で受け取った。いつも見ている袋だし、先ほどより断然危
険はないはずだ。
口直しと、言っていたし。
「あ、南、ソースは?」
茶色い液体。嫌な予感がして南は口を開いた。
「それ、チョコレートシロップとか言わないよな?」
「・・・・・・」
返ってきたのは、無言の微笑みだった。
図星か。今度こそ危険を回避したことに、南は安堵の溜息をつく。それは多分に彼の精神的な心労度
を表していた。
「いい。このまま食べるから。これって普通のコロッケだよな?」
一応再確認。
南も疑い深い性格になったものだ(対千石のみ)。
「見たまんまだよ。南の好きな“ふくふく屋”のジャガイモコロッケ」
なら安心だ。と大きめに一口噛り付く。
「・・・・・・の、中身をチョコにすり替えたやつ」
満面の笑顔で千石は言葉を締めくくった。
「ぶはぁ――――ッ!!!!」
「うわっ、南!?南〜〜〜!!???」
げほげほと咽ながら、南は千石を睨み付けた。実際はもうそれだけのHPしか残ってなかっただけなの
だが。
どんな嫌がらせだ、それは!!!
「あれ?それは結構味いけてたと思うんだけど」
千石が飲み物を差し出しながら首を傾げた。
確かに、先ほどよりはダメージは断然小さい。しかし、コロッケだと思って食した物体がチョコ味と
いう、予想を45度はずれた現実(いや、予想できたはず・・・か?)は、拒絶反応を起こさせるには
充分だったのだ。
なまじ、安心していただけに。
「覚悟が、出来てる、と出来てないで、は違う、んだ、よ・・・っ」
実際は味よりも咽たダメージの方が強くて、南は途切れ途切れに返答する。
千石から取りあえず飲み物を受け取った南は、その中身が茶色だったことにいっそ眩暈を覚えた。
「・・・・・・」
・・・コーヒー、じゃないよなぁ。
今日一日でチョコレートを嫌いになりそうな予感がする。
来年は、自分からあげるべきだろうか。
なぜ、チョコレートをもらえないと嘆く、世の中の恋人なしの男共よりも、恋人からちゃんとチョコ
レートをもらえる俺の方が不幸な気がするのだろう・・・。
なんだか理不尽な気がする南である。だから、言ってみた。
「・・・別に、無理しなくて市販でも良かったんだぞ?」
それか、せめて本を見て作るとか。南は一般的なチョコで充分なのだ。
「うん。分かってるんだけど・・・でも・・・」
何か言いたげに千石は呟いた。その顔に浮かんだ笑みがどことなく悲しそうで、南は千石のオレンジ
色の頭くしゃりとかき混ぜる。
俯いた顔のまま、千石が何か口にした気がしたが、声は南まで届かなかった。
何だと顔を覗き込む前に、千石がぱっと顔を上げる。そこには微苦笑が浮かんでいた。ただその微笑
みが痛い。
「千石・・・?」
「あの、ごめん。嫌な思いさせるつもりじゃなかったんだ・・・。それは、甘さ控えてあるから。
それとも、お茶のがいいなら買ってくるよ〜?」
「・・・・・・」
千石君をパシリに使えるなんて、南君の果報者っ。訳の分からない理屈をこねて、千石が苦く笑いな
がら南の手に渡ったコップを見つめた。
心の痛みを誤魔化すような笑みは、下手に落ち込んだ顔を見せられるより効いた。
千石なりに、色々考えたのだろう。頑張る方向が多少ずれていたとしても。面倒くさがりな千石が、
これだけのレパートリーを用意したのがいい証拠だ。
それに、本当なら、鮭ハラミもコロッケも、南の大好物なのだ。
はぁ、と南は溜息をついた。
びくりと揺れる千石の肩。笑みを湛えるのがつらくなったのか、飲み物を買ってくる、と立ち上がり
かけた千石の腕を、南が掴んだ。千石が驚いたように南を見つめる。
「みな・・・え?」
千石の見ている前で、南はコップの中身を一気に煽る。
それを、千石は呆然と見つめた。
口の中に広がるのは、ビターチョコと無糖のココアの味。甘さを極限まで控えたようなそれは、それ
でも甘く、喉の奥へと滑り落ちた。
「これなら、もっと甘くても飲めたな」
呆然とする千石へ、視線を逸らしながら南は告げる。
先ほど、覚悟が出来ているといないとでは違うと言ったが、まさにその通りなのだ。別にそこまでチ
ョコレートが嫌いな訳ではないし、何が来るか分かっていれば、それを受け止めるだけの気持ちを南
は持っている。
それは相手が千石であるから、という理由が実は大きかったりするが。
「・・・全部飲んだの?」
「ああ。それより、今回はどうしてこんな選択をしたんだ?」
掴んだままの腕を引き寄せると、千石が困ったように瞳を彷徨わせた。いや、困ったというよりは照
れているように見えて、南は首を傾げた。
南の見間違いでなければ、千石の形のいい耳がほんのりと赤く染まっている。
「え〜、それはさぁ、やっぱインパクト重視で」
「インパクト?」
分からない、と言いたげに南が首を傾げる。
確かに、人生で一番心に残るバレンタインチョコではあったけれど。
「他のチョコの一つに埋もれたくなかったし・・・」
「は・・・?」
千石の言葉に、南は今度こそ怪訝な声を上げた。
南は、テニス部の部長を務めるだけあって、人望もあるし意外ともてる。貰うチョコレートの数だっ
て、周りにうけのいい千石よりは少ないかもしれないが、本命の割合は断然多いのだ。
だから。
「南だってチョコレートいっぱいもらうじゃん?その中の一つっていうのが嫌だったんだ」
「・・・・・・」
「どこにでもあるチョコレートじゃ他の子と同じだし」
そこで、千石はにっと笑って見せる。その笑みの中に少しの不安を、南は敏感に感じ取った。
「だからさ。手作りで、俺だけが知ってる“これぞ南のチョコレート!”っていうのを上げたかった
んだよね」
瞳が僅かに揺れていた。
それはきっと、千石が見せた執着心に、南が離れてしまうのではないかと考えたのだろう。
千石は、ものに対する執着心が薄い。何ものをも縛らない変わりに、千石は逆に自分が縛られること
も嫌う。
だから、南と恋人になってから、千石は戸惑ったのだ。
無いと思っていた独占欲を、嫉妬を、南とその周りに向けてしまうことに。
今まで自分が縛られるのを嫌っていたから、南を縛りたくはなかった。
けれど、今回も思ってしまった。南へと寄せられるたくさんの想いと、チョコレート、その中の一つ
に埋もれたくないと。
自分は南にとって特別で、南は自分だけのものだと、そう思いたかった。
本当は、他の子からチョコレートを受け取って欲しくないのだと、そう言っていたら、南はどう思っ
ただろう。
この独占欲を、南なら・・・
「馬鹿だな・・・」
「・・・・・・っ」
その告白に、南は呆れたように息をついて、千石を引き寄せた。
抱き寄せて、強張った身体に苦笑する。
「そんなの、他のチョコなんて元から貰うつもりがないんだから、考える必要もないだろう」
「え?」
驚いて上げかけた顔に、笑みを見せた。
「いらない心配だったな。それに、お前はもっと我侭を言っていい。俺もその分お前を独占するんだ
から」
それが、恋人だろう?
千石が明るい色の瞳を驚いたように瞬かせた。
「え、それっ・・・んっ」
そのまま唇を塞がれて、千石は言葉をそのまま飲み込んだ。いつもは閉じてしまう瞳が、今は互いを
見つめている。その深い色に囚われて、二人は瞳を開いたままで、甘いキスを味わっていた。
唇が少し離れるたびに漂う、カカオの香り。舌先が触れて、離れて、匂いは脳神経までを甘く溶かす
。
「・・・っん・・・ぁ・・・っ・・・」
それはまるで、チョコよりも甘いような・・・
その甘さに泣きそうになりながら、千石は南の背中へと回した手で、コートの布地を握り締めた。
甘い甘いチョコレート味の、それより甘いキス。
「・・・は・・ぁ・・・っ・・ふ」
絡まる吐息が熱を帯びて、唾液を交換するたびにキスが甘くなっていく。
千石の力の抜けた指先が、コートの布地を滑ったところで、ようやく離れて南は楽しそうに笑った。
熱にほんのり色付いた頬を包み込むと、僅かに潤んだ瞳が南を見つめた。
「来年は、これくらい甘いチョコを頼むな」
「ふぇ?」
千石がぱちくりと目を見開く。
ついで、ぼんやりとした意識で意味を理解して、千石は破顔し、嬉しそうに南に抱きついた。
「そんなこと言って、どうなっても知らないよ?」
「ちゃんと楽しみにしてるさ」
凄い殺し文句を言ってくれたもんだと思う。
どれだけ砂糖を加えれば、今の甘さに追いつくというのだろう。
そんな甘いチョコレート、食べたら卒倒してしまうに違いないのだから。
けれど。
もし甘さが足りなかったら、来年もこうしてキスをしてやろうと、二人は互いには告げずに静かに誓
ってい合っていた。

二人の性格がうまく掴みきれない・・・(爆)。さて、このお話は実は、
いつだか突然思いついたバレンタインネタ↓↓
「中に鮭ハラミ。な、何をいれたんだ!!(だから、南の好物@です)第二段はコロッケ(中身チョ
コ)頑張れ、南!!」という訳の分からないメモから掘り起こしたお話でした(笑)。
本当はもっとギャグ風味になるはずだったのに・・・。書いてみたら予想以上に甘くなりましたね。
っていうか、キスが・・・(強制終了)
まぁ、バレンタインネタだし、これくらい甘くてもいいか、と。
楽しんでいただければ幸いです☆
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