「跡部、俺ねぇ、ホワイトクリスマスが見てみたいっ!!」
それはいつも通り唐突な提案で、勝手な願いで、まさかそれが実現されるなど、その時は思っても
いなかったのだ。
けれども、その願いは思っていた以上に早急に、そして確実さをもって、目の前に現れていた。
何故なら。
ジローの言葉から、僅か数週間後。
ジローと跡部は、まさに白銀の世界に舞い降りていた。
――――――ジローが望んだままの、聖なる日に。
天使は聖夜に舞い降りて
はふ、と息を吐いた。
意図的に大きく吐き出した息は、すぐに湯気に紛れて分からなくなる。
風が吹くたびに形を変えて立ち上る湯気を、視界の端に捕えながら、ジローはライトアップされた
スキー場を臨む湯船の淵へと身体を預けた。
照らされた雪の白さに、少なくはない影が映る。
先ほどまで、自分もあの中でスノーボードを楽しんでいたのだと思うと、不思議な気がする。
跡部に言ったのは、本当にただの夢物語だったのだ。
岳人や滝と話していて、偶然そういう話になった、ただそれだけが理由の。
それなのに今、ジローはこうして白銀の世界を目にしている。天気までが味方をしたのか、実にタ
イミングよく、昼から雪模様が続いていた。
今日は、クリスマスイブだ。
空からは止むことなく雪が降りてきて、湯に触れてあっという間に溶けていく。
むき出しの肩にも雪の結晶は降りかかったが、のぼせる、まではいかなくとも、かなりの時間湯船
に浸かっていたジローには関係がなかった。
空を、見上げる。
雪は、遥か遠く、闇の中から音もなく舞い降りてくる。空高く、円を描くように降りてくるそれへ
と、ジローは手を伸ばした。
カラカラ、と背後からガラスの戸が滑る音がした。
ここは、ホテルの最上階に程近い場所にある大浴場から続く露天風呂だ。
自動ドアから中へと戻れば、足元に水を張ったスチームのサウナも、普通のサウナも、ジャグジー
も何でも揃っている。
暖かい室内から露天風呂へと移動してきた人物が、一度も振り返らないジローを呼んだ。
「ジロー、いつまで入ってるつもりだ?」
「ん〜、あ、跡部だ」
「あ、跡部だ、じゃないだろう」
動く様子のないジローへと、跡部は仕方なく近づいた。僅かな水音が響き、近づくのに合わせて、
波にも似た水の揺れが、ジローの方へと押し寄せた。
跡部はジローの元へとたどり着くと、景色を眺めるためか、湯船の淵に乗り出すようにした肩に乱
暴に湯をかける。
「冷えるぞ」
「ん、頭だけ冷や冷や〜」
それが気持ちいいのだとくすくすと笑うジローへと、呆れた目を向ける。一度湯の中に潜っていた
手が、ジローの冷えた髪を乱雑に掻き混ぜた。
湯で温まった手が、冷え切った頭皮に触れていく。
「跡部、あったかい〜」
ふざけた様に飛びつく自分より華奢な身体を、跡部は難なく受け止めた。人がいないから、そのこ
とを咎めることもしない。
唯一目を細めたのは、ジローが乱暴に動いたことで、水飛沫が上がったからだった。
「あれ、でも身体はまだ冷たいね」
短時間とはいえ、外を歩いて湯船まで来たせいだろう。それでも手が暖かく感じたのは、ジローの
頭がそれだけ冷えていたからだ。
ジローは自分の暖かな身体をこすり付けるように跡部へと抱きついた。すぐに、跡部の冷えた体温
がジローのそれと合わさり、同じ温度を取り戻す。
「いつまでここにいるつもりだ?」
現在、人が少ないのは食事の時間だからだ。全員が向かう訳でもないだろうが、入れ替えの丁度中
間だったせいか、人が引いたところだった。
これからは逆に増えていくだろう。そういう跡部やジローも、そろそろ出ないと夕食が遅れてしま
う。
「ん〜、ねぇ、雪だよ」
問いには答えずに上空へと向けられた瞳に、つられて視線を向けながら、仕方なしに跡部は答えた。
「ああ、そうだな」
他に人のいない露天風呂から、二人して空を見上げる。ジローは向きを変えて、今度は跡部に背中
を預けるように寄りかかった。
後ろから長い腕が回って、そんなジローを抱きしめる。
「さっきねぇ、雪ってどんな味かと思って、空に向かって口を開けてみたんだ」
「・・・・・・」
どう返事したものか、と跡部は黙り込む。
「口に入った気もするし、でも分からなかったから、思いっきり空気ごと吸い込んでみた」
「それで?」
「ん?咽ちゃった」
「・・・・・・」
くすくすと笑うジローに跡部は呆れて言葉もない。ジローは再び口を開いた。
「雪の味は、しなかったよ」
何も、何も。
ただ溶けて消えたそれは、余りにも小さくて水の味すら分からなかった。
手を伸ばす。
確かに白い結晶であったはずのそれは、暖かな体温の宿る手に触れた瞬間溶け落ちる。
それは、かつての自分の気持ちを彷彿とさせた。
淡く、弱く、酷く小さく何の感触もなかったせいで、気付くのに大分かかってしまった、跡部への
思い。
気付けば心に舞い落ちて、酷くゆっくりと、しかし確実に心の中へと降り積もっていった。
そう、まるで、この雪のように。
触れれば、溶ける。
溶けては消える。
手を伸ばしても掴めないのに、いつの間にか周り全てを覆うようにそれは降り積もっていた。
何だろう。
もの悲しい気分になった訳ではないのに。
「・・・静かだね」
雪は、音を吸い込む、という。
他に音がないせいだろうか。心が酷く静かで、凪いでいた。
跡部に好きと言われてから、ここまで接近したのは初めてだというのに。
自分はまだ、その想いに答えていない。
二人の間に沈黙が続くのはそのせいかもしれなかった。
それでも、ジローには今の沈黙が嫌ではなかった。
ジローは不思議な気持ちで後ろの体温をただ感じるように、目を閉じた。
卑怯、かもしれない。その思いはずっとある。
だって、跡部はいつだって優しい。
いつか、と夢見た他愛も無い約束を、こうして叶えてくれるほどに。
跡部の告白に対する置き去りにされた答えを、自分はまだ返していないのに。
待つ、と言ってくれた。その答えを、自分は今日返さなければならない。
気付いた想いは、今も心の中に降り続けている。
「・・・・・・」
聞こえるのは、水音だけ。
賑やかなはずのスキー場からも、全く音は届かなかった。当然だ。
見えてはいても、それなりに距離はあったし、何よりもここはそこよりももっともっと空に近い。
雪の舞い降りてくる、空に。
降る雪に音は吸い込まれて、だから互いに口を閉じてしまうと、本当に無音の世界になってしまう
気がする。
そこでジローは気付いた。
“あ・・・”
トク、トク、トク
目を閉じて、何の音もない世界で、聞こえてくる音がある。
背中越しに聞こえる、跡部の心臓の音。
トク、トク、トク
静かに、脈打って、そうしてジローのそれと重なって優しく響く。
身体に、直接。
互いに、鼓動は少し速くて、でもやっぱり心は静かだった。
重なるそれは同じメロディを奏でていて、それだけで嬉しくなる。
静かに、互いを想っているのが分かるから。
静かに、穏やかに、そして、深く。
自然と、口の端に笑みが浮かんだ。
「雪がね、俺の心にも降り積もったんだよ」
「それは・・・」
雪は、冷たい氷の結晶だ。そこから連想されることに跡部は眉根を寄せたが、ジローの声は穏やか
なままだった。
「でもね、冷たくないの。静かに確実に降り積もった想いの、その名前がね、やっと分かったんだ」
静かに静かに降り積もる。
今も、確実に。
心に降り積もる、跡部への好きという想いの欠片。恋という名の、それ。
あの日、あの時。好きだ、そう言われて、自分は確かに嬉しかったから。
ジローは静かに、跡部の想いに対する答えを口にした。
「・・・好きだよ」
今日初めて、泣きたくなった。
それでも大好きなアイスブルーの瞳が見たくて、潤んだ自覚のある琥珀色の瞳を、跡部のそれに合
わせた。
「・・・好きなんだ」
瞳から、言葉から、全ての想いが伝わるように。
「跡部が、好きだよ」
それが、それだけが言いたかったのかもしれない。
それっきり、二人は、雪の降る様子をただ眺めた。
「雪は・・・」
ずっと黙っていた跡部がふいに口を開いた。
ジローは鼓膜を振るわせるその声がもっと聞きたくて、静かに続きを促す。
跡部は少しの間戸惑ったあと、再び口を開いた。
「天使の羽なんだそうだ」
「え・・・??」
ジローは首を傾げる。それだけしか跡部は口にしなかったが、何となく、ジローは嬉しくなった。
自分の心に、天使が舞い降りて、そうして恋に落ちていった。
白く、儚く、静かに。
それが天使の羽であるなら。
跡部の心にも、同じだけ、天使の羽が舞い降りればいい。
跡部が、静かにジローを抱き寄せた。
「俺も、ジローが好きだ」
「うん」
触れ合う肩が熱い。
互いの鼓動の音だけは、雪に飲まれないで、心に直接響いてくる。
それがただ嬉しくて、眦(まなじり)には氷の結晶は触れなかったというのに、透明な雫がすべり
落ちたことにも気が付かなかった。
跡部は気付かない振りで黙っている。ただ優しく、目尻にキスを落とした。
「ありがと」
好きになってくれて。それが、ただ、嬉しい。
空からは、天使の羽が途切れることなく舞い降りていた。
そのことに気が付いて、ジローは笑みを零す。言ってない言葉が、あった。
そして首だけを巡らせて、跡部の唇に自分のそれを静かに合わせた。
「メリークリスマス」
その頬は、湯に浸かっているせいだけでなく、赤く染まっていた。
数十分後、見事に逆上せたジローを介抱しながら、跡部はオレンジジュースを手渡した。
そのまま、ほんのりと染まったままの頬に唇を寄せてキスと共に囁かれた言葉に、ジローは気だる
げにしながらも笑顔を見せる。
“メリークリスマス”
天使の舞い降りた聖なる夜に、初めて心を通わせた恋人達は幸せそうに微笑んでいた。

題名はクリスマス鳳宍小説を意識しました。その時の会話に出ている、スキー言ってる跡ジロ、
のつもりだったんですが、何も考えずに打ったらこんなことに・・・!!
スキー、してないですねぇ(それ以前の問題だろ!!??)
心理描写しか書いてないし、深い設定も決めてなかったので、かなり不安です。
一応、小学校の頃の思い出を必死に思い出しながら書いたんですが(スキーの場面書いてないから
意味なし)
取りあえず、跡部は自分の別荘持ってそう、とか、泊まってもこんなホテルじゃないだろうとかの
感想はなしで。余りホテルについて書かなかったのはそのためです。旅行なんて全然行ってないん
だよ〜(涙)
最初はラブラブのバカップル旅行のはずが、書いているうちになんだか馴れ初めもどきになってし
まいました・・・・・・不思議ッ!!!
H17.12.26up
→close←