ちらりと鳳は宍戸を見た。
彼のポケットに入っているはずのミントガムはあと4つ。
その4つのガムがなくなるのを待ちかねてさっきから頭の中で一つの言葉がぐるぐると回っている。
――――――trick or treat!!
今日はかぼちゃのお化けが世間をちょっぴり賑わす日。
おれんじ色のイタズラ
鳳長太郎は宍戸のミントガムを狙っていた。
狙っていたという言葉は適切ではない。彼は別にミントガムが欲しいわけではなく、ミントガムがなく
なることをこそ狙っていたのだから。
彼の先輩である宍戸が愛用であるそのミントガムを新しく購入したのは一昨日のこと、順調に減り続け
たそれは、先程こっそり確認したところによると、残り4つだった。
この調子なら。
鳳は思う。この調子なら、放課後までに上手いことガムがなくなるのではないかと。
余り甘いものを好まない彼が持ち歩いているミントガムという唯一の“お菓子”を。
期待を込めて宍戸を見て、鳳は朝のことを思い出した。
そう、きっかけは朝だったのだ。
「今日はハロウィンだな」
各々の着替えも終わり、ようやく落ち着いてきた部室内の音を完全に奪ったのはそんな一言だった。正
確には、その言葉に、というよりはその言葉を放った者の意外性と言った方がいいだろうか。
「ど、どうしたんだ、跡部」
声もない他の者に変わって、宍戸が言葉の主に声をかける。
一般庶民よりも欧米色の濃い日常を送っている跡部が、ハロウィンの存在を知っていることはおかしく
はない。おかしいのは、それを彼が皆の前で口に出したことであり、明らかな興味を示したことだった
。
「あ?」
しかし、当の本人は何だ、とでも言いたげな瞳を宍戸へと向け、ついでバツが悪げに頬を染めた。
どうやら、口に出すつもりはなかったらしい。
けれども、意外な人物の意外な反応により、その場にいた氷帝テニス部レギュラーの脳には、ハロウィ
ンという言葉が突如としてしかししっかりと刻み込まれたのだった。
そんな朝の風景を思い出して、鳳は寒空のした走り回るダブルスパートナーを見た。
放課後の部活。冷たくなった風の中、楽しそうにコートに駆け回る彼の姿がある。
その姿に数瞬見とれてから、鳳は思考を戻した。
言ってみたい言葉がある。ハロウィンならお決まりなそれは、普段の彼なら「急に何言い出すんだ」と
切り捨てられてしまうだろう。けれど、今日ならば。
期待の膨らんだ胸の中で想像を膨らます。
「お前も跡部に影響されたのかよ」
そう言って苦笑する彼の顔が浮かんだ。
それから・・・
彼がお菓子を持っていないのは決定している。つまり自分がイタズラすることも決定で・・・
その先を考えて、鳳は頬を紅く染めた後、すぐに血の気が引いたように青ざめた。
無理かも・・・。
そう思って、それでも諦められずに首を振る。
そうしてぽつりと無意識に呟いた。
「怒るよね、やっぱり・・・」
Trick or treat!
そうお菓子を持たぬ彼に言って。それを利用して。不意打ちで。
「キスするなんて」
小さく漏れた声は風にまぎれて、まだ高い空へと吸い込まれた。
*****
「何、あれ」
汗を拭きながら呟かれた滝の言葉に、コートから出たばかりの宍戸はパートナーを顧みた。
滝の指す“あれ”が自分のダブルスパートナーである鳳長太郎を指すのだと分かっていたからだ。
「さっきは宍戸のこと睨みつけてたよねぇ」
分からない、と首を傾げる滝の向こうで鳳が一人百面相をしている。先程より沈んだ顔をした彼の向こ
うから、跡部が部員を見回るようにこちらに歩いていた。
もうすぐ叱咤とともにグラウンドを走らされるだろう。
すでに鳳の様子に気づいて眉を吊り上げる鬼部長をよそに、止めるのも連帯責任を負わされるのもごめ
んだと、宍戸は軽く肩をすくめて背を向けた。
どうせ、あと数分で今日の部活は終わるのだから。
「今日の部活はこれで終了だ」
空が染まり始めてすぐに、部活終了が告げられた。いつもより数段早い終了の理由はグラウンドの整備
だかなんだと説明されたが、真剣に聞いている者などいないだろう。
現に宍戸もその後、榊顧問から告げられた連絡事項を聞いてはいなかった。
ざわめきを残しながら散っていく面々に混じって、三年生もその場を後にする。いつものようにジャー
ジのポケットを探り、目的物を取り出し一緒にいた滝に差し出すと、彼は笑顔でそれを受け取った。
「何してるの、宍戸」
眠そうな声でジローが後ろから覆いかぶさってくる。
宍戸は肩にかかるひよこ色の髪をなぜて、ミントガムを一つ摘んだ。
「部活終わったからさ。滝と食べてたんだ。お前も食うか?さっき日吉にもやったんだけど」
滝に用のあったらしい後輩についでとばかりにガムを投げると、訝しげながらも受け取り礼を言って去
っていった。その後姿を思い出し、宍戸は苦笑する。
この後輩はいつになっても宍戸をあからさまでないにしても敵視している気がある。宍戸のダブルスの
パートナーである誰かさんとは対照的だ。
「ミントガム?ん〜、辛いからいいや」
「だってお前眠いんだろ?」
「すっごく。どうして分かるの〜?」
子供特有の高体温が、眠さのせいか倍増している。緩慢に動く唇から零れる言葉は今にも途切れそうで
、宍戸と滝は苦笑した。
「後は帰るだけなんだから、ちゃんと起きてろよ。・・・ん?」
「・・・・・・」
「宍戸宍戸、もう寝てる」
くすくすと笑う滝と重くなった肩に宍戸は脱力する。そうしてひよこ頭を軽くはたいた。
「・・・んぁ?」
「言ってるそばから寝てんじゃねぇ!」
ジローはやはり緩慢な動きでさして痛くもないであろう頭をさすると、「頑張る〜」と殊勝な言葉を返
した。・・・言葉だけは。宍戸と滝は眼を合わせる。こうなってしまったジローは例え道端でも寝る。
それは確実に。断言できるのはそれだけの前科が彼にあるからだ。
「やっぱお前、これ食っておけ」
「あ、待って。ジローこっち」
宍戸が差し出したガムを受け取ろうと伸ばされた手に、滝が何かを握らせた。
「アメだよ。寝ながらガムよりマシかなと思って。レモン味なんだけど、中に入ってる粉は結構強烈だ
よ」
ふふ、と笑う滝から受け取ったアメをジローは口に放り込む。
苦笑してガムをポケットにしまった宍戸が何気なく振り返ると、様子を窺っていたらしい鳳が顔を輝か
せていた。
・・・・・・何だ?
宍戸に分かるはずがなかった。
鳳は勘違いしていたのだ。最後のガムの行方を。
ジローにいくはずだったガムが宍戸に舞い戻ったことを鳳は知らなかったし、鳳が何を喜んでいるのか
など、宍戸はもちろん知るよしもなかった。
「うぅ〜・・・」
すっぱっ!そう顔全体で表現して、ジローは少し覚醒した。
噛み砕いたアメからビタミンCを凝縮して固めたような酸味が零れ出る。周りを包んでいた甘い砂糖部
分は、わずかに酸味を緩和させる形で舌の上を滑った。
その様子を見て、宍戸と滝は苦笑する。そしてようやく、覚醒しかけのジローを連れて人気の少なくな
ったコートから部室へと歩き出した。
歩きながら滝がジローへと笑いかけた。
「少しは効いたみたいだね。そういえばジロー、trick or treatはもう跡部に試したの?」
「とりっく・・・何?」
「trick or treat、だよ。試してないの?今日それを跡部に言えばきっとお菓子をもらえるよ」
「え、どうしてっ!」
俄かにジローの顔が輝きだす。明らかにアメよりも眠気覚ましの効果があるらしい話の先を今度は宍戸
が続けた。
「そうか、お前朝も眠ってたもんな。確かに今朝の様子ならアイツもお前に何か用意してるかも・・・
今日はな、ジロー。ハロウィンなんだよ」
ハロウィン、そう自分で言って何かが引っかかったように宍戸は感じた。
そうして、後輩が見ていたものをポケット内に確認する。
もしかして・・・。
ジローと滝の会話が遠くなる。その中で子供っぽさを満面に表せて笑うジローをみながら
、trick or treatの本来の意味を、宍戸は思い出していた。
お菓子をくれないと。
その先は・・・
そこで宍戸は首を傾げる。もし鳳の目的がイタズラだとしたら。
・・・俺、アイツに何かしたか?
まさか日頃の仕返しとか、かな。
そう思いながら先程の嬉しそうな鳳の顔を思い出す。イタズラに乗ってやってもいいか、一瞬そんな考
えが浮かんで、そんな自分に気づいて宍戸は小さく息を付いた。
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